誰のために働いているのか 残業ばかりで帰ると子供が寝ている

当社は株式会社のため、株主の為に働いていると言えるでしょう

そのため、直接お客様に関わる日々の業務の他に、コンプライアンスや財務税務対策など対外的な業務も多数あり、コロナで増えた業務もあるなか現場の負担になっていると思う

対して私個人の誰のために働いているのかというと、自分と子供が食べていくためである。

90分集中説

自宅でタイムカードや勤務表に縛られずに働くことになったら、仕事の進め方は自分でコントロールしなければならない

そうしたとき、進捗に合わせ一段落させるのもいいが、ついつい休みを入れず作業してしまい、発想の柔軟性を欠いたり、疲れによる作業スピードの低下を招いてしまう

そのため好きなときに休憩を好きなだけすると決めて、ただし作業を開始したときにはキッチンタイマーを90分セットする

これで疲れすぎを避け効率的に進める事ができる

慣れてきたらキッチンタイマーのセット時間を自分のバイオリズムにあわせ長短させたり、1日の中の時間帯によって長短させてもいい

企業による人材育成の限界

いつやめるかもわからない人材にお金も時間もかけて訓練や教育をするのは限界がある

OJTが現実的だが、教えることがマニュアル化されていないと、受け手側が要領のいい人でないとなかなか業務レベルで使えるようにならない

これからは雇用側も被雇用側も個が尊重される時代だと思うので、労働形態も教育も自己責任になるのではないか

使えない人間の流動性を担保するため雇用という形は近い内に無くなるように思う

どうやらうちの子は100歳以上生きるらしい

人生100年時代と言う言葉も既にあまり聞かないほどに当たり前の言葉となったが改めて調べてみると2007年以降に生まれる子供は半数以上が107歳を超えると言ったことらしい

そんな長い人生を送る我が子に向けて親として何ができるだろうか

まずは健康そしてお金これらが大きな心配事であろう

それらに付随して学びなども重要になってくる

少子高齢化には逆らえない 介護の充実も必要に迫られる中少しずつではあるが整ってきつつあると思う

これは労働世代が子育てだけでなく介護にまで追われることがないよう長期的なビジョンで世の中全体でカバーしていくと言うことなのかもしれない

また働き盛りの世代に対しては生涯教育リカレント教育として常にスキルアップの機会を設けまた学びの機会を設けて効率的な労働やさらなる質の高いものを生み出すことを可能にしようとしている

定年を廃止する動きもあり体が動く限り高齢になっても仕事を続ける社会と関わる貢献すると言うのも求められる働き方生き方の1つの姿になりつつある

親が共働きのため小さい頃から親元から離れ社会性を学び見ず知らずの人たちに囲まれて過ごす

正しい教育は多くの人に無償で提供され少なくとも受けるだけなら門戸が広くなっている

やはりロボットやAIなどを活用して少ない労働人口で多くの高齢者を支える工事が必要となるのかもしれない

楽しい仕事とは

まず私にとって楽しいこととはなんだろう

漫画を読む読書YouTubeを見る子供と遊ぶ映画を見るゲームをやる本屋に行く

では仕事をしていて楽しいと思える時はどんな時だろうか

意外かもしれないけれどアクシデントに近い突発的な何かが舞い込んだときなど頑張らなきゃと言ったときの方がより感謝されることも多く仕事を楽しいと感じられる

だからきっと感謝される仕事が楽しいと感じるのかもしれない

感謝される仕事ってなんだろう

きっと自分ができる提供できる何かに対してすごく困ってる人がいれば自分にとっては簡単に解決できるけどその人にとっては重大なことで解決したらとても感謝されると思う

だから自分の強みを生かし後は深めそしてそれを役立てる環境に身をおくことが大切かもしれない

マッチングをいかにするかが難しいが自分の持っているノーハウやスキルを日本で1番必要としている人と出会えることができればものすごく感謝されるだろう

そういった意味でも自分が1番好きな事を深めると言う事はマッチングが難しいがその知識やノーハウを求める人と出会えれば今まで仕事と思っていなかったような事でも仕事になるかもしれない

幸せや夢を手に入れるよりもお金を手に入れる方が先?

お金は道具であり何かを実現するためのものである

であれば幸せや夢の実現のために先にお金を手に入れる必要があるのだろうか

であれば夢や幸せの形によって必要なお金の金額も変わってくるだろうしいつまでに手に入れる必要があるかも変わってくるだろう

お金を手に入れる方法にも様々あると思う

負担は少ないけれどそこそこの金額の場合や好きなことをやってハッピーな気持ちでお金を稼ぐ夢を実現しながらお金を稼ぐなど

シンプルに辛い仕事をがむしゃらに頑張ると言うのも近道かもしれない

一人一人が何を求めるかによって適切な答えは変わってくるだろう

叶えたいほどの夢ってなんだろう

私の望みは自由である

しかし夢となるとどうだろうか

自由であることが夢?

いや夢を叶えるために自由があるのではないか

そう思うと自由を手に入れたいと望んでいるが本当は夢を叶えたいと思っているのかもしれない

では私の夢とは何か

特別何かをやりたいとは思っていない

ただゆっくりと好きな時間に起き好きな時間に食べる好きなものを食べる好きな人と遊び好きなことをし好きなときに寝る好きな場所で

現場子供との時間や読書映画漫画パソコン考えること散歩風呂おいしいご飯やコーヒースイーツそういったものが私の望むものであり幸せの本であり夢なのかもしれない

今をどう過ごすかで未来が決まる

今日1日今日1日を積み上げていった結果明日があり1ヵ月後があり1年後がある

なので自分のなりたい未来があればそこに向かって1日1日いっぽずつ向かっていくしかない

江戸時代は身分制度があり家柄で自分の人生が決まった

その後時代が変わり勉強した人がより自由を手に入れることのできる時代がやってきた

では現在多くの情報に手軽にアクセスできるようになり皆が知識は豊富になったと言えるだろう。そこで周りの人と差ができるにはその知識をいかに生かした行動を取れるかが結果に結びつく

問題にぶつかるたんびに調べることで簡単に解決方法は見つかるしかしどんなに調べても行動しなければ本題にぶつからなければ頭でっかちになるばかりで知識を生かすことはできない

なのですぐにでも自分の向かう方向を定め小さな1歩でもいいので行動し続けると言う事が未来を作ることである